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【海外旅行体験記】スタントラベルのWORLDブログ『欧州最後の独裁国家ベラルーシ&中・東欧の旅』

  • 更新日:2022年02月02日
  • カテゴリ:体験レポート

こんにちは!
スタントラベル旅のアドバイザーです。2016年、今年はいろいろな国へ行っております。
2月のアフリカ南部諸国、ゴールデンウィークの南太平洋バヌアツ共和国に続き、今回は9月のシルバーウィークを利用して中~東欧に行ってきました。「ベラルーシ」「ポーランド」「チェコ」「スロバキア」「ハンガリー」の5カ国です。シルバーウィークも繁忙期のため、やはり航空運賃は高くなっています ・・・とにかく安く! これが旅のアドバイザーのポリシー、ということで今回もお世話になったのは中国系の航空会社“中国国際航空”首都北京をハブとする、中国最大の航空会社です。

いざ、ベラルーシへ!

中国系の航空会社なので、日本~欧州の直行便はありません。今回は往復共に北京首都空港乗り継ぎで、往路は羽田→北京→ミンスク(ベラルーシ)という経路です。

羽田を発って約3時間半、北京に近づいてくると視界がやけに悪くなり、濃霧かな~?と思ったら、これがなんと、かの有名な“PM2.5”! 空港ターミナルビル内でも呼吸をするのがイヤになるほどの異様な状況です。取敢えず、ここ北京首都空港で乗り継ぎですが、なんともデッカイ空港です。

歩いて、歩いて、且つ、パスポートチェックと安全検査を受けて、やっと次の搭乗口へ到着。

今度は約9時間掛けて最初の目的地ミンスクへ! いつも楽しみにしている機内の映画ですが、今回の中国国際航空では約8割が中国製の映画で、日本語音声または日本語字幕の映画は無し! 英語音声の映画が数本あったのですが、どれも古~いものばかり、仕方がないのでチョー懐かしい「トータル・リコール」を観ました。内容は既に熟知しているのですが、まぁ 暇つぶしにはなりました。

そんなこんなしているうちに、ほぼ予定時刻にミンスク(ベラルーシ)へ到着。

旧ソ連邦の国らしく、入国審査場はピリピリした雰囲気です。長~く待った末に窓口へ行くと金髪・青い目の典型的なブロンド美人。こんなアジアのオッサンが凝視していると怪しまれると思い、目を逸らしていたら、彼女曰く「Look Me!(私を見なさい!)」 冷や汗をかきながら美女と約10秒ほどご対面。その後はパスポートを顕微鏡で検査されて(初めての経験)、無事に入国。

ここでいきなり余談ですが、ベラルーシは美女が多いことで有名です。そして何と美女は出国禁止なのです(モデルとして登録された女性は政府の許可が無いと出国できない)。やはり微妙に“ふつー”ではない国です!

さて、到着ロビーで客引きのタクシーの運転手数人と交渉して、一番安いタクシー(US$15)でミンスクの街中へ約50分掛けて到着。先ずは両替と思い両替屋へ行くと、万国共通で本日のレートが表示されていました。

実はベラルーシでは今年の7月1日付で1万分の1のデノミが実施されたはず ・・・

なのにUS$1≒BYR1,930(ベラルーシルーブル)の表示が ・・・ 庶民の間ではまだ旧相場、旧紙幣が流通しているようなので両替は止めて(余ったら、正直紙クズ同然)、US$の現金とクレジットカードで乗り切ります。発展途上国のようですが、クレジットカード精算は普及していて、タクシーも殆どがカードOK。日本より進んでますネ!?

ミンクス市内観光へ

さて、落ち着いたところでミンスク市内観光へ!

先ずはベラルーシについてですが…。
かつて日本では「白ロシア共和国」と呼ばれていたのを覚えてますか? ソビエト連邦を構成する主要4共和国の一つでした。ということで、街中の様子は“ザ ソ連”やたらに広い道路に巨大な建築物、挙句の果てにロシアでさえ殆ど撤去された巨大なレーニン像まであります。

ホテルはどうだろう?と内心心配していたのですが、流石は世界的チェーンの“Hampton Inn”なかなか快適なホテルです。

衛星放送も観れて大相撲も放映されてました。

翌朝も時間が許す限りミンスクの市内観光…。

一番大きな教会(聖エレーナ教会)に行ってみると、何故か日ノ丸が掲げられて日本語表記のプレートがあり「広島・長崎・福島の土が埋められている」という表記がります

チェルノブイリについて

さて、皆さんはチェルノブイリ原発事故を覚えてますか?

チェルノブイリ原発はウクライナにあるのですが(ロシアと思っている日本人が多い)、この辺りの風向きの影響で一番被害を受けたのは、実はベラルーシだったのです。いや、過去形ではなく、現在も風向きによっては放射能の数値が上がり、農作物や酪農製品にも影響が出ています。ロシアという独裁国家の情報統制の影響で日本ではあまり知られていませんが、今でも罪もない人々が苦しんでいるのです。

少々重~い気分になったのですが、ここらでミンスク観光もタイムリミット。
空港へ行ってチェックイン、今回乗るのは少々不気味なベラヴィア(ベラルーシ国営)航空。

過去には操縦室のフロントガラスが割れたり、上下さかさまに着陸してしまったりと何かと話題の豊富な航空会社です。ただ、Webで日本にいながら予約可能、クレジットカード精算で即発券という、なかなか斬新な面も。ミンスク~ワルシャワ1時間10分のフライトで€67.51(約¥7,900)という安さも魅力です!

若かりし苦き思い出と共に、念願の?ポーランドへ!!

幸い何事も無くポーランドの首都、ワルシャワ空港へ到着。
この空港、別名は「ワルシャワ ショパン空港」と申します。何ともお洒落なネーミングですネ!? 思わず“雨音はショパンの調べ”を口ずさんでしまいました。後日プラハで会った若い日本人にその話をすると「何ですか?その歌?」と言われて思わず自分の年齢(高齢)を思い知らされてしまいました。

なぜ、ポーランドにやってきたのか?

さて、今回このポーランドにやってきた一番の目的は ・・・

話せば長いことながら、今から約35年前、若かりし(大学生)旅のアドバイザーはバックパッカーとして初めて欧州を旅していました。西欧の主要な国々をほぼ巡り終わり、ふとベルリンへ行ってみたくなりました。今ではドイツの首都として簡単に訪れることができるベルリンですが、当時はまだ東西冷戦が激しい頃で、日本を含む西側諸国の人間がビザ無しで簡単に行けるのは、東ドイツ(東側=ソ連側)に包囲され、且つ壁で封鎖された“西ベルリン”のみ。西ドイツのハノーバー発、ベルリン経由ワルシャワ行きの列車に乗り込んだ旅のアドバイザ-は、必ず(絶対に)西ベルリンのZoo(ツォー)駅で降りなければなりませんでした。

ところが、なんと寝過してしまい、目覚めた時は既に東ベルリン(東ドイツ)。車掌に「ビザを見せろ!」と言われて顔面蒼白(だったはず)! 警察(または鉄道警備兵?未だに不明)に身柄を拘束され、そのまま終点のワルシャワへ。そしてワルシャワの拘留所で“不法入国者”として3泊させられたのです。

今では懐かしい笑い話ですが、当時はまさに悪夢! 怖くて震えていたのを昨日のことのように覚えています。そして4日目、やっと日本国大使館で身分照会が完了したとのことで、無事にシャバへ出ることができたのでした。

ここからまた余談 ・・・
この時、私を救ってくれた日本国大使館発行のレターには当然ながら美しい“日ノ丸”が印刷されていました。私が、我が日本国という国家、そして世界一美しい国旗“日ノ丸”に人一倍尊厳・畏敬の念を抱くようになったのはまさにこの時からです!

35年振りのワルシャワへ!

前置きがやたら長くなってしまいましたが、この怖~い、且つ暗~い思い出しかないワルシャワ(ポーランド)が35年を経た今、どんな風に変貌したかを見たくて老体に鞭打ってやって参りました! 35年ぶりのワルシャワ、それはウソのように変貌していました。

高層ビルにお洒落な公園、ファッショナブルな若者ち ・・・

かつては“ワルシャワ条約機構”が締結され、東(ソ連)側の衛星国として暗黒の時代の渦中にあったこの国が、今ではEUやNATOにまで加盟し、目覚ましい発展を遂げています。“自由と平和”について考えさせられますネ!?

さて、ポーランドといえば、数々の著名人を輩出しています。

先ずはノーベル物理学賞と化学賞を受賞した、日本でも有名なキューリー夫人。

続いて地動説で有名なコペルニクス。そして、冒頭で紹介したフレデリック・F・ショパン。
なんとショパンの心臓は写真の聖十字架教会の石柱の下に埋められているのです(少し怖わっ)!

そして今回どうしても行きたかった(行かねばならなかった)のがワルシャワゲットー(ユダヤ人強制居住区域)の碑!迫害されたユダヤ人の方々の碑に手を合わせるのは勿論ですが、旅のアドバイザーが強制収容されたのは、おそらくこのゲットーのすぐ後ろの建物なのです。35年前を思い出し、少々うるうるしてしまいました ・・・

懐かしい(?)ワルシャワの街を後にして、LOT(ポーランド航空)で次の目的地チェコの首都プラハへ!

このLOTのチケットも日本でWebで簡単に購入。
約1時間15分のフライトで日本円建てで¥9,730。

ホント、安くて便利です!

チェコの都「プラハ」へ

さて、やってきましたチェコの都「プラハ」。別名“建築博物館の街”とも呼ばれる美しい街です。

先ずは“プラハ城”。9世紀の半ばに建築が始まって以来、歴代の王の居城となり、14世紀のカレル4世の頃にその偉様が整えられました。ここの名物はチェコ版の衛兵交代式。毎時丁度に行われます。

続いて、プラハの象徴とも言える“カレル橋”。
ヴルタヴァ川に架かり、欄干に並ぶ30体の聖人像が見事です。ただ、常に外国人観光客で賑わっていて、微妙に撮影が困難です。

“世界一美しい街”チェスキークルムロフへ!

翌日は以前から行きたかった“世界一美しい街”チェスキークルムロフへ!

憧れのチェスキークルムロフはプラハから車で約3時間とけっう距離があり、どうやって行くか?少々悩むところです。
日帰りのプラハ発着ツアーを検索すると、どれも€200(¥23,000)以上、経済力に乏しい者にとっては少々高い壁です。そこで見つけたのが「スチューデントエージェンシー」のバス。

スチューデントという名前がついていますが、こんなオッサンでもOKです!料金は驚きの片道€7.6(約¥890)。この料金なのに、車体はほぼ新車でトイレ付き、ドリンクサービスも付いています。

さらに最近の飛行機と同じく、全席に液晶画面が付いていて、映画、TV、ミュージック等も楽しめます。ちなみに今回は「ゴジラ(前回のもの)」を放映していて、異国の地でゴジラの映画を堪能しました。

その快適なバスに乗ること約3時間。
やってまいりました“世界一美しい街”。世界一美しいというのには反論する人もいるでしょうが、やはり一目見て溜息がでるほどの美しい街です。13世紀頃から南ボヘミアの貴族によって築城され、14世紀には華々しく街は発展しました。

しかし、その後支配者層が他の地域へ移ったため、この街は近代化から取り残されてしまい、逆にそのおかげで当時の美しい街並みがそのまま残されたというストーリーです。

滞在時間は昼食時間を入れて約4時間、しかしホントに小さな街なので焦ることはありません。
チェスキークルムロフ城、庭園、市庁舎etc、ゆっくり歩いて見て廻れます。

ついでにチェコといえばやはりビール。ビールと言えばドイツと思っている人が多いと思いますが、ここチェコは一人当たりの年間ビール消費量ではドイツを大きく上回る142.6ℓ! 日本と比べると、なんと3.3倍!ということで、と~っても可愛らしいホスポダ(ビアホール)でビール+ランチタイム。

ビールはいろんな種類がありますが、やはりここチェコ発祥のピルスナーがお勧め!切れのある苦みで実に美味い!且つ嬉しいことに驚くほどの安さ(写真のジョッキ1杯=約¥190)。左党の旅のアドバイザーにとってはまさに天国!

世界一美しい街を後ろ髪を引かれつつ後にして、プラハへ戻ってさらに1泊。美しい景色に、美味くて安いチェコ料理とビール、大満足のチェコ滞在でした。

スロバキアの首都ブラチスラバへ

さて、翌日はプラハ中央駅からEC(国際特急列車)に乗って、隣国スロバキアの首都ブラチスラバへ。

今回乗ったEC277号はプラハ09:52発→13:50ブラチスラバ着。当然2等車なので6人掛けのコンパートメント(半個室)。アメリカ人にデンマーク人、カナダ人と室内は実に国際色豊かです。ただ、室内はけっこう狭く、大きな荷物は上(かなり高い=昔の3段ベッドの上段くらい)の荷物置き場に置かなければなりません。

同室の他の乗客は女性4人と初老の男性一人、何故か全員の視線が私に集中! 半強制的に私が全員の大きなスーツケースを上段へ!アメリカ人の初老の男性から「ジム利用料が1回分要らなくなったな!」と笑えないジョークを言われ一瞬ムッとしましたが、デンマーク人のうら若き女性から軽く感謝のハグを受けて、すっかり機嫌を取り戻した旅のアドバイザーでございました!

スロバキアの見どころスポット

「スロバキア」日本では知名度が低い国の一つですネ!?
かつては「チェコスロバキア」という一つの国でしたが、1993年に独立して、それぞれ別々の独立国家になりました。マイナーなイメージの国ですが通貨はユーロで外国人旅行客にとっては大変便利です。ベラルーシ=ベラルーシルーブル、ポーランド=ズウォティ、チェコ=コルナ、次に訪れるハンガリー=フォリント と今回訪問する国々では原則としてその都度両替が必要ですが、ここスロバキアだけは両替という面では非常に助かります。

先ずはホテルにチェックインして、ブラチスラバ観光へ!

スロバキア自体小さな国(国の人口=約450万人、面積=日本の7分の1)で、首都のブラチスラバも人口約40万人とこじんまりした町です。この町自体がオーストリア、ハンガリーと国境を接しており、歴史的にも両国との結びつきが深くなっています。

実際、ハンガリー王国の都となっていた時期もあり、有名な女帝マリア テレジアも居城していたことがあります。小さな町なので全て徒歩で観光します。見どころは「ブラチスラバ城」と「旧市街」。そして、その両方を見渡すのに最適なのがドナウ川沿いにある「UFOの塔」という奇妙な名前のタワーです。95mの高さで、展望台からは遠くオーストリアも見渡せて、なかなかの景色です。

続いては、今回の旅の最終目的地 ブダペスト(ハンガリー)へ

さて、いよいよ次は今回の旅の最終目的地ブダペスト(ハンガリー)。
EC(国際特急列車)273号でブラチスラバから約2時間40分。今回の鉄道の旅は発車と同時に飲んだビールの影響か?ほぼ寝て過ごしました(前回に懲りて、荷物を担がないでいいように実は半分狸寝入り)。

“ドナウの真珠”と呼ばれるハンガリーの首都ブダペスト。

この町も他に劣らず非常に美しい町です。先ず、到着直後、旅のアドバイザーはこのハンガリーが大好きになってしまうハプニングに遭遇します。お金にはヒジョーにせこい旅のアドバイザーですが、何と地下鉄の切符を買う際にうっかりと釣銭を受取るのを忘れてしまいました。

地下鉄のホームでぼっ~と立っているアジアのオッサンに「Excuse Me!」と金髪・青い目の若い女性。何?とあっけにとられているオッサンに「Your‘s」と差し出された釣銭。

そして、私が常にバッグにつけている日の丸を見て「Are You from Japan?」すかさず「Yes! I‘m Japanese」そして彼女は「I Love Japan」の一言をオッサンに残して爽やかに走り去って行きました。

「ハンガリー大好き!」思わずそう思ってしまったアジアのオッサンでした!

ブダペスト観光へ

さて、そんな話は置いておいて、ブダペスト観光です。
先ずは小高い王宮の丘、ここからはドナウの真珠の見事な景色を堪能できます。そしてドナウ川に架かるのが有名な「セーチェーニ(鎖)橋」。ドナウ川を背景にすると、なかなかのもです!

そして、次にブダペストのシンボルといえば国会議事堂。ハプスブルグ帝国の支配下にあったハンガリー王国の歴代の王の居城として建てられたものです。

高さ96mX全長268mX幅123mという壮大な建築物で、建設には4000万個のレンガ、50万個の宝石、そして40kgの金が使われたとのことです。すごか~(思わず九州弁)!?

この荘厳且つ華麗な国会議事堂の敷地の片隅にあるのが「1956年10月25日」という日付けが刻まれた碑。何の碑かわかりますか?
そうあの忌まわしい「ハンガリー動乱」の鎮魂の碑です。当時のソ連による弾圧に対抗して民主化・ソ連軍撤退を叫んで、ハンガリーの学生や労働者が命懸けでデモを決行したのです。これに対してソ連は強硬に軍を派兵して鎮圧、ソ連の傀儡政権となるカダル政権を誕生させたのです。

この動乱による死者は約2,700人、そして約20万人のハンガリー国民が命からがら西側諸国へ逃亡したと言われています。この碑には当時の銃撃戦の弾丸の跡がくっきりと残っています。

もう一つ悲惨な歴史の証人となっている施設へ行ってきました。

その名も“恐怖の館”。第二次大戦当時は、ドイツのナチスと関係のあったハンガリー矢十字党の本部として、また戦後はソ連のKGBのハンガリー版である秘密警察組織“AVO”の本部として利用された建物です。市民の間では「アンドラーシ通り60番」として恐れられ、ここに入れられたら最後と言われていました。

罪もない数多くの人々が強制的に連れて来られ、そして犠牲になっていきました。現在では犠牲になった人々の写真が建物の壁に刻まれており、その写真を見ると、思わず手を合わせ、そして頭を垂れずにはいられませんでした。

「ファシズム」「社会主義」etc、世界の歴史を震撼させてきた巨悪を観た思いがしました!

さて、今回ブダペストの市内観光の足として利用させてもらったのが地下鉄。何とこのブダペストの地下鉄ですが、1号線は1896年に開業、ロンドン、イスタンブールに次いで世界で3番目に古い地下鉄です。

そして電車の地下鉄(電気で動く)としては世界最古なんだそうです。どうりで現在では少々くたびれたようにみえます。そして最後に乗ったのが水陸両用車。バスとして市内の主要観光地をを走り抜け、そしてそのままドナウ川へ入り、ボートとしてドナウ川を進みます。なかなか面白い約2時間の乗車(船)でした。

さてさて、最後の訪問地ブダペストの観光も終わり、ブダペスト空港へ行って帰路につきます。帰りは再び中国国際航空でブダペスト→北京(約10時間)、北京→羽田(約3時間半)の空の旅です。

いつもそうですが、出発してしまうとアッと言う間の旅でした。

中~東欧は景色が素晴らしく、シャッターチャンスには事欠きませんでした。歴史的建造物も観ることができ、そして何より有難いのが物価の安さ。北欧の旅に比べたら、天国にいるような感覚になりました。

最後に“蛇足”ですが、ひと言 ・・・ 今回訪れた国々は全て歴史上ロシア/ソ連と関わりを持った(持たされた)国々です。

ベラルーシだけは今でも親ロシアの独裁政権の国(故に日本人が渡航する場合はビザ取得が必要)ですが、他の4か国は“社会主義”“独裁”とは決別できて、自由社会に変貌した国々です。独裁国家の支配を受けた国々がどのような状況にあったか?皆さん、じっくりと歴史を振り返ってみませんか?日本が独裁国家に支配されていたら ・・・?

そう思うと背筋が寒くなります。

ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの歴史(ついでにベラルーシの現在)がそれを如実に物語っています。
あの「日露戦争」に勝利したことを、日本人として心の底から誇りに思います。
そして最後の余談ですが、司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」を再々再度読み返そうと思った次第です ・・・
(未だ読んでいない方、是非読んでみて下さい!)

皆さんも、いろいろな要素を含んだ、ある意味“重~い”中~東欧へ行ってみませんか?
勿論スタントラベルを利用して ・・・ !

2022.02.02

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