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【海外旅行体験記④】スタントラベルのWORLDブログ『モスクワとイスラエルの旅』

  • 更新日:2021年12月24日
  • カテゴリ:体験レポート

こんにちは! スタントラベル、旅のアドバイザーです。
今回は真冬のモスクワとイスラエルに行ってまいりました ・・・

2019年1月18日(金)成田空港からJAL便で一路モスクワへ出発です。
安心の“日の丸の翼”で約10時間、機内ではしばらくお目に掛かれないであろう和食も堪能できて大満足でした!

モスクワに近付いて窓から外を眺めると一面の銀世界、ホントに寒そう!

到着したのは舌を噛みそうになる「ドモジェドヴォ国際空港」かつての暗~い社会主義国家の面影はなく、明るくモダンな空港です。

ターミナルの外に出ると-13℃。南国九州出身の身には実に応える寒さです!今日は空港横のエアーホテルドモジェドヴォ(また舌を噛みそう!)で1泊です。

翌朝暖か~い客室で目覚めて、早速今日の天気予報をチェックすると
「予想最高気温は-6℃」とのこと!ホテルのスタッフの「今日はホント暖かい!」というセリフに首を傾けながら出発です。先ずは空港連絡鉄道アエロエクスプレスでモスクワ市内のパヴェレツ駅へ!

最新の設備で所要約45分、モスクワのイメージを裏切る(?)快適な乗り心地でした。
市内に着くと次は地下鉄に乗り換えです。ロシアの大都市のメトロ(地下鉄)の駅は核シェルターを兼ねているので“半端ない”深さ、車両は少々古いですが、渋滞の酷いモスクワでは貴重な移動手段です。駅は実に重厚な造りで、像が置かれていたりと、まるで博物館のよう!モスクワのメトロは全14路線、欧州最大で約1,250万人の人口を抱える大都市モスクワ市民の貴重な“足”となっています。

先ず向かうのは有名な「クレムリン」。夏の時期だと入場するのに1時間以上と観光客で混み合う人気のスポットですが、真冬の時期なのですんなり入場できました。

当時世界最大と言われた「大砲の皇帝」や美しい「ブラゴヴェシチェンスキー聖堂」等、見どころは実に豊富です。ただ寒い ・・・

クレムリン観光を終えた後は門を出て、お隣りの「赤の広場」へ。

“赤”の広場というとかつての社会主義ゆえのネーミングと勘違いしている方が多いようですが、実は関係ありません。ロシア語のクラースナヤ・プローシャチ(赤の広場)のクロースナヤは現在では“赤い”という意味ですが、かつては“美しい”を意味していました。従って「赤の広場」ではなく「美しい広場」だったのです。

広場の周りにも見どころはたくさん。玉ねぎ頭のようなモスクワの象徴「ポクロフスキー聖堂」や「国立歴史博物館」などなど ・・・。

その中でも訪れてみたかったのが「レーニン廟」そう1917年11月7日、10月革命を成功させて世界初の社会主義国家を誕生させた“レーニン”こと本名ウラジミール ウリヤーノフの遺体を安置している廟です。

ロシアでは偉人ですから廟に入る際は脱帽・静寂が求められ、当然撮影は禁止、実に厳粛な雰囲気でした。そのレーニン廟の脇には何とスターリンの銅像も!レーニン後のソ連で独裁を極め、大粛清、を行った人物として有名ですネ!大東亜戦争末期“日ソ中立条約”を破って参戦し、降伏後の日本から“北方領土”を奪い去り、またシベリア抑留という悲惨な歴史を作った張本人です。私の個人的意思と信条でこの銅像には頭を垂れませんでした。

ロシアでは偉人ですから廟に入る際は脱帽・静寂が求められ、当然撮影は禁止、実に厳粛な雰囲気でした。そのレーニン廟の脇には何とスターリンの銅像も!レーニン後のソ連で独裁を極め、大粛清、を行った人物として有名ですネ!大東亜戦争末期“日ソ中立条約”を破って参戦し、降伏後の日本から“北方領土”を奪い去り、またシベリア抑留という悲惨な歴史を作った張本人です。私の個人的意思と信条でこの銅像には頭を垂れませんでした。

ボリショイ劇場

赤の広場に隣接するロシアで最も著名な“グム百貨店”も飾り付けが素敵です。ホントにかつてのロシアの暗~いイメージは払拭されつつあるようです。通りの反対側にはオペラやバレエ等で有名な「ボリショイ劇場」も見ることができ、また、ふと振り返るとレーニンの銅像も立っていました。丸1日だけの観光でしたが、モスクワは実に見どころも豊富!また暖かい時期に再訪したいと思った次第です。

もう1泊モスクワで宿泊して、これからイスラエルへ移動です。

ドモジェドヴォ(また舌噛んだ!)空港で搭乗手続きをしますが、旧ソ連の都市の空港ということで、日本ではお目に掛かれない珍しい航空会社名のオンパレード!「トルクメニスタン航空」「タジキ(タジキスタン)航空」等など、あまり乗りたくない航空会社名がずらり!

さて、今日搭乗するのはイスラエル国営のエルアル航空。知る人ぞ知る、世界で最もセキュリティーチェックの厳しい航空会社です!
搭乗手続きが開始されると、モスクワの空港でありながら銃を抱えた警備員がカウンターを取り囲み、カウンターの手前には質問(尋問)のためのブースが用意されます。係員が「ヘブライ語、ロシア語、英語、どれがいい?」とヘブライ語、ロシア語、英語で聞いてきます。

当然選択肢は英語しかありません。
「イスラエルには何しに行く?」「過去にイスラム圏を訪れたことはあるか?」「ムスリム(イスラム教徒)の友人はいるか?」等など、まさに根掘り葉掘り。まァ、オッサンの一人旅なんざ最も怪しまれて当然なんでしょうが!?「独身か? エっ?違う? じゃあ何故奥さんは一緒に来ないんだ?」とほっといてくれ!と突っ込みたくなる質問まで浴びせられてかれこれ約20分。質問責めが終わった後「スゴイ厳しいネ!」と言うと「安全こそが一番のサービスですから!」と切り返され、妙に納得してしまい唸ってしまいました。

国内線の航空便搭乗にIDチェックも無い、チョー平和ボケのどこかの国の担当者に聞かせてやりたい台詞でした! さて、搭乗時間約4時間でイスラエルのゲートウェイ、テルアビブ/ベングリオン国際空港に到着。入国審査でもけっこうな質問責め ・・・「何しに来た?」「目的地は?」等など。そして写真付きの個人カードが作成され、このカードは滞在中常に携帯が義務付けられています。

因みにパスポートに入国スタンプは押されません。というのもイスラエルは近隣に敵対国が多く、イスラエルのスタンプがあるとそれらの国々(イラク、シリア、サウジアラビア等)からは入国拒否されてしまうのです。そう!入国スタンプが押されないのはイスラエル側の“気配り”なのです。

そして実はこの個人カード、さらに凄い機能が付随しているのですが、それを思い知らされるのはイスラエル出国の時、となるのです ・・・

到着ロビーに出ると、ハシティズム(超正統派ユダヤ教徒)の姿もちらほら。路線バスでエルサレムへ移動しようとバス乗り場に行きますが、案内はヘブライ語のみ。唯一記憶していたヘブライ語の“エルサレム”という文字を頼りにバスに乗車。約50分でエルサレムの巨大なバスターミナル前に到着です。

実は今日は日曜日なので問題無いのですが、ユダヤ教の休日(金曜日の日没~土曜日の日没)に当たると悲惨なことになってしまうのです。この期間はシャバット(安息日)と呼ばれ、ありとあらゆるものが休みです。バス、電車、ショップ、飲食店、全てです! ユダヤ教徒ではないアラブ人達だけが細々と営業をしている、という状況です。そのことを知っていた私旅のアドバイザーも、敢えて金~土曜日を避けて訪問しているのです。 ということで無事にエルサレムに到着したところで今日はこのバスターミナルの近くのホテルで1泊、物価のチョー高いイスラエルではホテル探しも一苦労なんですヨ!

翌朝目が覚めると快晴、そして暖かい、それだけで嬉しくなってしまいます!先ずはLRT(路面電車)で旧市街へ。

ダマスカス門で下車して、かつての城壁の中の旧市街へ入りますが、旧市街の中はまるで迷路!時々“グーグルマップ”で確認しないとすぐに迷子になってしまいます。先ず向かうのは「ヴィア・ドロローサ」ラテン語で“悲しみの道”という意味の道です。

イエスが有罪となり、十字架を背負わされてゴルゴタの丘まで歩いた約1kmの道のりなのです。この辺りは当時も繁華街で、イエスの姿は多くの民衆の目にさらされたそうですが、その中には母マリアの姿もあったとされています。さぞ辛かったことでしょう!

この悲しみの道の終点はゴルゴタの丘、現在は「聖墳墓教会」となっています。この教会内の写真の十字架の場所で実際に磔になったそうで、亡骸は写真の大理石番に横たわされ、すぐに香油が塗られたそうです。敬虔な信者達が今日も一生懸命祈りを捧げていました。今ではこの教会内の金色の大きな祭壇がイエスの墓とされています。

少々気が重くなったところで教会の外へ出ると真っ青な空が広がっています。

少し歩くと、遠くにはエルサレムの象徴の「嘆きの壁」と「岩のドーム」が見えてきます。よく“聖地エルサレム”と言われますが、このエルサレムは「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」のそれぞれの聖地なのです。イエスが磔刑となったキリスト教の聖地「聖墳墓教会」、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、そして預言者ムハンマドが昇天した場所とされるイスラム教の聖地「岩のドーム」。そう、ここエルサレムは宗教の交差点なのです。

これらの敬虔な聖地に“神道”以外の宗教は一切信じないというバチあたりなこの旅のアドバイザーが向かいます!

「嘆きの壁」はかつてのユダヤ教の神殿の丘に建っています。

神殿はローマ軍により破壊され、残された一部がユダヤ教徒達にとって「嘆きの壁」として祈りの対象となっているのです。この壁の広場に入るには正装として“着帽”が必要です。ユダヤ教徒以外の者用に“キッパ”と呼ばれる帽子が貸し出され、これをかぶってお参りです!因みに他の場合と同じく嘆きの壁も“男女別”に分けられています。イスラエルでは全てそうです。エルサレムで行ったスポージムも勿論男女別で、実に“むさ苦しい”雰囲気でした。

午前中にエルサレムの旧市街観光を終え、取敢えず昼食です。前述したようにイスラエルの物価は“半端ない”高さです。スーパーで缶ビール(500ml)1本が約600円、質素なランチ(ハンバーガー+ビール)が約2,300円、何とかしてくれ~!

それからもう一つ文句を言うと「私の大好きなチーズバーガーが食べられない!」

ムスリム(イスラム教徒)の飲食の規定の“ハラル”は日本でも認知されてきましたが、ユダヤ教には“コーシャ”という独特の規定があります。肉で言うと「蹄が完全に割れていて反芻する動物はOKだけど、それ以外はダメ」です。従って牛や羊は○だけど、豚やウサギはX、魚では「ヒレとウロコがあるものはOK、それ以外はダメ」です。そう、私の好物のイカ、エビ、タコ、牡蠣はダメなのです! それから不思議な規定もあって「肉と乳製品を同時に食してはならない」のです。ということでハンバーガーはOKだけど、チーズバーガーはダメなのです。「絶対にチーズバーガーの方が美味いゾ!」と日本語で店員に言ってやりました!

質素で高価な昼食を終えて、次に向かうのは隣国ヨルダンとの国境にある有名な「死海」のリゾート地の“エンボケック”。高速バスで約2時間、物価の高いイスラエルですが交通費は国策で安く設定されていて片道約1,200円、助かります!

エンボケックは砂漠の中の死海に面した高級リゾート地!
裕福そうな欧米人の高齢者で賑わっています。因みに、高速バスで到着して、且つスーツケースを自身で運んでホテルにチェックインしていたのは私一人でした。死海といえば何といっても“浮遊体験”。即入ってみたらホントに浮きます(あたりまえ)!

浮くと言うよりは下から押し上げられるような、何とも不思議な感覚です。
一人旅なので、どうやって浮いている写真を撮ろうか?と悩んだ挙句の結果がオッサンの汚い毛むくじゃらの脚の写真です。スマホを落としたら一巻の終わりなので、これが最高傑作です! 死海の塩分は通常の海の約10倍で約33%、天然の塩分なので肌には大変良いそうですが、絶対に30分以上は浸かるな!と言われます。浸透圧の差で身体の水分が失われてしまうのです。

この優雅なリゾート地で2泊して、少しのんびりできました。2泊後はまたまた高速バスでエルサレムに戻ります。到着して即向かったのは、今回の旅の中でも是非訪れたかった“パレスチナ自治区”の「ベツレヘム」。アラブバス(アラブ人運営)の路線バスで約30分、巨大な壁が見えてきます。ここパレスチナ人居住区(自治区)は、イスラエル軍がテロ防止を名目に築いた“分離壁”によって囲まれています。

境界は厳しく管理され、銃を持った兵士があちこちに見受けられて少々緊張します。

分離壁にはさまざまなアート(壁画)が描かれていて実に興味深いです。中にはバンクシー作、と言われている壁画もありました。少し歩くと“世界一眺めの悪いホテル”として有名なThe walled off hotel を発見しました。目の前が“分離壁”で日光も殆ど当らない、まさに眺めの悪いホテルです。バンクシーと地元の人の共同経営だそうです。

このベツレヘムには、もう一つキリスト教徒にとって大切な場所があります。
イエスが誕生したとされる「聖誕教会」です。入口は屈まないと入れないほど小さく「謙虚の門」と呼ばれています。

そして教会内部の祭壇の下の星印の場所でイエスは産まれたと言われています。今日も大勢の敬虔な信者がその床に口付をしていました。その聖誕教会から少し離れたところにあるのが「ミルク・グロット」。

生まれたばかりのイエスとマリアが一緒にいて、マリアの母乳が数滴地面に落ちたところ、赤色の地面が一瞬のうちにミルク色に染まった、と言い伝えられている場所です!

パレスチナ人居住区のベツレヘムはアラブ/中東の匂いがプンプンします。イスラエルと違って多少物価も安く、実に庶民的な雰囲気です。さて、エルサレムに戻るときも分離壁を眺めながら、重々しい警備のゲートを通って移動します。日本人は世界中で信用されているのでパスポートと個人カードをちらりと見せるだけでOKですが、パレスチナ人等アラブ系の人は大変です。許可証を持っていないと通行できないし、持っていても厳重に安全検査をされていました。

ベツレヘムからエルサレムに戻って1泊、明日はモスクワへ移動です。

さて、今日はモスクワへ移動の日。
航空便(エルアル航空)は17時発ですが油断をしてはいけません。エルアル航空では「遅くても3時間前にはチェックインカウンターへ来るように!」と注意書きがされています。小心者の旅のアドバイザーは、なんと4時間前に空港に到着!またまた厳しい質問と尋常ではない荷物検査が待っていました。「イスラエルに来た目的は?」と聞かれ、『オッサン一人で“観光”と答えると、また不審がられるかな?』という思いが頭をよぎり「出張」と答えました。すると係員が私の個人カードのバーコードをスキャンして曰く「おかしいな?入国の時、貴方は“観光”と言った筈だ!」・・・ なんと恐るべし、質疑応答の記録まで個人カードにインプットされていたのです!

しどろもどろになりながら、何とか約20分尋問に耐え抜きました! もっと厳しい係員だと別室で半裸にされて検査を受けることもあるそうです。冷や汗を拭ってやっと搭乗待合室へ行くとスマホの電池があと僅か、ということに気付きます。辺りを見回すと最新のコードレスの充電器が何台も設置されています。またまた「イスラエル恐るべし!」と呟いてしまいました。

約4時間のフライトで再びモスクワへ!春のような気候のイスラエルから到着したモスクワは、なんと-23℃。モスクワで再度1泊して帰る、ということで冬服は殆どモスクワのホテルへ預け、軽装でイスラエルへ行っていた旅のアドバイザーなのです。

モスクワ空港のターミナル内のトイレで、持参している“ズボン下”やヒートテックのシャツを着よう、と思っていたところ、まさかの“沖止め”。タラップを歩いて降りて待っているバスに乗り込みますが、バスはドアを開けたまま、しかも“アイドリング禁止”なのか、エンジンは切ったまま ・・・

極寒の中の沖止めが日常茶飯事なのか、周りの人達は完全防寒体制。薄いウィンドブレーカー1枚の不審な東洋人のオッサンはしばらく注目の的となっておりました。

モスクワで最後の1泊をして、いよいよ帰国です。帰りも日本の翼 JAL!
機内に入るとホントに久々の日本語で「ご搭乗ありがとうございます。どうぞ機内でゆっくりとお寛ぎ下さい。」という、それは優しいお出迎えの言葉が ・・・ 日本はまさに“おもてなし”の国、と改めて感じ入った次第です。

真冬のロシア(モスクワ)とイスラエル、実は以前にも訪れたことがあるので、訪問国数追加にはなりませんでした。
だけどパレスチナは世界の136ヵ国が“国”として認めています。しかし我が日本国は認めていない、ということで0.5ヵ国追加ということにして、これで85.5ヵ国訪問、目標の100ヵ国にまた少し近付きました!

今回も同僚のFさん、そしてOさんにも大変お世話になりました、「スパシーバ」そして「トダーラバー」!
次は何処へ行こうかな!?

2021.12.24

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